SixTONESのオリジナル曲「RAM-PAM-PAM」のパフォーマンスについて

SixTONES


SixTONES が満を持して披露した新曲

「RAM-PAM-PAM」がファンの間に波紋を呼んでいる。

衣装をずり下げ、パンツを見せるという前代未聞のパフォーマンスのためだろう。

しかし、あのパフォーマンスが批判されるのは個人的に悲しさがあるのでブログを書いている。

「RAM-PAM-PAM」 の何が問題なのか


過剰なセックスアピールだ。下品だと言って批判する意見が多数ある。

まあ、歌詞が歌詞だし、振付も振付だからそう言われるのも無理はないとも思う。


しかし、あのパフォーマンスは果たして本当に
下品で過剰なセックスアピールだろうか。


「RAM-PAM-PAM」についての私の意見

つい先ほど書いた
下品で過剰なセックスアピールだろうか
という問いだが、私はそうは思わない。

もちろん自分の解釈が正解だ!なんて言うつもりはないけれど、

腑に落ちないことを前提に
好きなものを否定されるというのは辛いものがある。

ジャニーズのセックスアピール的なパフォーマンスについて


下品だなんだと言われて、
いや、あれは良いですよ。
なんて言ったところで
「そんなの好みの問題でしょう。」
「そういうのがお好みなのね。」
と言われてしまえばそれまでである。

これだけは先に書いておかないと
上手く伝わらない気がするから書いておこうと思う。

意外かもしれないが、大前提として
私はジャニーズのセックスアピール的なパフォーマンスについて
かなり否定的である。


例えばジャニーズのパフォーマンスにありがちな
腰を振るような振付だったり、
歓声が起こりがちな、上半身を露出させるようなパフォーマンスだ。

10年以上ジャニヲタをやっていると振付に関してはある程度

受け流してその他の振付と同じテンションで見られるようにはなっているが

未だにそれで興奮するようなことはない。


しかし、上半身の露出に関してはかなり萎える。

上半身の露出に関してはもはやジャニーズの伝統芸的なところもある。


滝沢歌舞伎の”腹筋太鼓”や、

少年たちの”桶ダンス”

などはその作品の代名詞とも言えるだろう。

私はそういった過度な露出が苦手なので、

毎度毎度(無ければ良いのに)と思いながら初日を迎え、

またかと落胆するのを何年も繰り返している。

需要と供給の相違

ジャニーズがパフォーマンスという概念を超えてセックスアピールに走るのが嫌いだ。

これをしておけばファンはキャーキャー言うだろうみたいな舐めた感じも嫌いだ。

そもそも触れることも知り合うことも出来ない人間にセックスアピールされて

何が楽しいというのだろう。

私が見たいのはパフォーマンスだ。

「RAM-PAM-PAM」を見る前の私

「RAM-PAM-PAM」に関しては

自分が観劇する前から多少の情報が耳に入っていた。

私はいつもさっき書いたような調子なので、

(私はこのパフォーマンスを見て大丈夫だろうか。)

という一抹の不安があった。



ジャニヲタの友人から大丈夫?と連絡が入るほどである。

正直だいぶ身構えた。

私の場合、そういったセクシーな表現が恥ずかしいとかいう事ではなく

単に、またやってらぁ…と興ざめする、

というのが1番感覚に近い。

自分の興味のないもの、気に入らない事は

スルーするのがヲタクの鉄則だと重々承知しているが、

流石に常軌を逸して尚且つ自分の好みでなかったら、

パフォーマンスに対する信頼や

彼らに対する尊敬も失われるかもしれないと思ったのである。

「RAM-PAM-PAM」のパフォーマンスをなぜ支持するのか

ではなぜRAM-PAM-PAMのパフォーマンスは私にハマったのか。

それは「パフォーマンスとして確立されていたから」としか言いようがない。

「RAM-PAM-PAM」のパフォーマンスが良いと思う4つの理由

パンツが統一されている

まず、私が「RAM-PAM-PAM」のパフォーマンスを
受け入れられた最大の理由。

読んで字のごとく!
パンツが統一されていたのが良かった。


今回の衣装はメンバーそれぞれの要望で作られており、
一見、統一感はない。


しかし、問題のパンツだけは光沢のある赤の生地に

ゴム部分にはSixTONES の文字、と統一されていた。

統一されることにより、
あれはパンツというよりも衣装の一部だ
と認識することが出来た。

ちょうどジャケットに仕込まれた
メンバーカラーの裏地を見せてくれるような具合だ。

パンツを執拗に見せてくるのは確かに破廉恥で下品かもしれないが

衣装を見せるパフォーマンスは特段下品なことではない。

惜しげもないところ

あの惜しげもない大胆な見せ方が良かった。

曲中に1度や2度であれば
(何だか見てはいけないものを見てしまった)
みたいな背徳感があるだろうが、

あの、あっけらかんとした大胆な見せ方には
ムードのようなものを感じない。


こういう振付ですけど何か???的な圧さえ感じる。

それが、とてつもなくフラットで
新しく感じられる。

下品の昇華

私がRAM-PAM-PAMを初めて見た時の感想は
「下品の昇華」であった。

下品とも取れる動作を堂々とやり遂げることにより
パフォーマンスへと昇華することが出来る。

そんな風に感じた。  

性差を感じさせないところ

これだけあれこれ書いて性差を感じないなんて言うと
唐突だと思われるだろうが、説明をさせてほしい。


何よりあのパフォーマンスはあの曲調や歌詞と見事にマッチしている。

挑発的で、気怠そうで、
くだらないことばかりの日常だからここらで一発楽しいことしようぜ。
みたいな日々を生き抜く力強さとか
皮肉みたいなものを感じる。

パンツを見せる事なんてどうってことはないさ。
固定概念に縛られたタブーなんてくだらねえ。

みたいな雰囲気が好きだ。

そう。世の中の何もかもがくだらなくて、どうってことはない。

それぞれの環境とかを差し置いて、
生きていくことに対する気怠さに男も女も関係ない。

何なら「男とは」「女とは」みたいな概念すらも
くだらないことなのではないか。

あのパフォーマンスは、そんな気怠くて尖ったメッセージの
延長線上にある表現の1つなのだと考える。

そう考えるとSixTONESの「RAM-PAM-PAM」のパフォーマンスは

セックスアピールどころか一周回って

性差を感じさせないものだという気が私はしている。

「RAM-PAM-PAM」の何が下品か

「RAM-PAM-PAM」の何が下品か。

別にパンツを見せることなんて
大したことではないと私は本気で思うのである。

強いて下品だと言うのなら
その矛先はあの尖った感じや気怠そうなルーズさに向けるべきではないか?

でもそんなのきっと
SixTONESを好きな人ならどちらかと言えば
好きな雰囲気なのではないかと思うのである。

さいごに

今回はRAM-PAM-PAMの
賛否両論が巻き起こっているパフォーマンスをメインに書いたが、
他の方がおっしゃっているように
RAM-PAM-PAMは曲調も歌詞もかっこいい楽曲だと思う。

ラジオで北斗くんが言っていたようにSixTONESの代表的な曲の1つになったら良いと思う。


ジャニーズのセックスアピールの押し売りに日々萎えていた私だが、
これだけ過度にやってくれると、
はい出ました、という呆れを通り越して
何か自分にとって大切なメッセージを受け取ろうという気持ちになる。
これこそが私の感じた”昇華”の正体だと思う。


どうか「RAM-PAM-PAM」が多くの人に愛されますように。

こちらの記事もご覧ください

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