松村北斗くんが服を着させてもらえなくて悲しいです!!

SixTONES

こんばんは。

一言で済むことを2000字超で語るジャニヲタ、Itsusoです。

今回の私の主張はタイトルの通りです。


怒りを突き詰めて考えると毎回悲しみになるのは私だけですかね。
心理学とか詳しくないのでわかりません。

私が思うに怒りとか悲しみって要するに「解せない」ってことなんだろうなって思います。

違うよって言われるかもしれないけど、少なくとも私が悲しいなって思うときはそういうことが多いです。



前置き、というか前文が長くなりましたが、私は今怒りに似た悲しみを感じています。

怒りのピークは6秒とか言った人誰?(いや、出てこなくていいですけど)

かれこれ1ヶ月近く、何でよ・・・という気持ちを抱えています。

私は好きなものは何が何でも肯定したいヲタクなので、好きなものを批判するのはポリシーに反するのですが、今回だけは批判に聞こえてしまうかな。

批判をしたいわけではないんだ。
ただどうしても解せなくて悲しい。

私と同じ気持ちの人に、ああ自分だけじゃないんだなって思ってもらえたら
逆に、そう思ってるのはItsuoだけじゃないよって言ってもらえたら
それだけで今回のブログを書く意味があると思っています。


ことの発端はMgirl

待ち望んだ蜷川実花さんとSixTONESのコラボ。

過去、展示に行ったり監督映画は映画館に足を運ぶくらいには常々気になっている蜷川実花さんの作品。

その被写体にSixTONESが選ばれた!

そう思うだけで小躍りしたい気分でした。

-発売日当日-

仕事終わりでげっそりしながらも心だけはスキップで(顔は真顔で)書店にてMgirlを受け取る。

その日は疲れていたこともあり、楽しみは翌日の帰宅後に残し眠りについた。

-翌日-

私は依然目を通せていなかったがTwitterではファンが狂喜乱舞しているようだった。
期待は高まる一方である。

そうして帰宅し、ようやくMgirlを開いた私。

以前RAM-PAM-PAMのパフォーマンスを肯定するブログでバズっていてなんだが、
私は本当にジャニーズのすぐ脱ぐ文化が苦手である。
歌舞伎の腹筋太鼓も、少年たちの桶ダンも、コンサートでシャツを全開にする演出も。
とにかく服を纏っていないという状態が非常に萎える。
単にビジュアル的に美しさを感じないというか、シンプルに苦手であることもそうだし、
何より脱いでおけばジャニヲタは喜ぶんだろ、という舐めた感じが大嫌いだ。
そしてそういう時に大抵会場は沸く。
これが需要と供給か。と冷めた心で毎度絶望を抱く。


-話を戻してMgirl-

SixTONESの集合写真で白シャツを全開にした北斗くんを確認。


因みに(ちなみにでも何でもないが)私は
「ジャニーズはとりあえず白シャツ1枚をサラッと着こなし、第2ボタン(第3ボタンの例外を認める)まで開けた状態が最高に色っぽい」
という持論を持っている。

この時点で私の心は少し曇る。
だがしかし、まあ、集合だし。他のメンバーも全体的に露出多めだし。
と自分に言い聞かせる。
(現に隣のページの京本くんはファーを身に纏ってらっしゃる・・・!)


ページをめくる。
高地くん(はしごの方の変換ができない)と慎太郎くんのショットに安堵しつつも樹くんのショットに不安を残す。

次ページ。
慎太郎くんのショット。良し。
ジェシーくん、樹くんのショット。良し。

この時点で松村北斗くんはまだか!と私の中の私が叫ぶ。

そして更に次のページ。
(私は良く躾のできたヲタクなので、もはやお目当てのタレントがいる隣のページなど視野に入らない。)

何で?!?!

正直心の底からこれしかなかった。

いやいやいやいやwww
え?前のページでみんな服着てたじゃん!!何で北斗くんだけまた前が全開なわけ?!?!
全く!!!解せない!!!!


後のページでちゃんと服着てるショットもあったけどさ。

でも蜷川実花×SixTONESってなったら、個人的な趣味としてゴリゴリの柄物とか、
シンプルな白シャツに極彩色なライトアップとか、勝手に期待してたのよね。

SixTONESと蜷川実花さんの作品の雰囲気がすごく合うってわかっていて期待していただけに、
期待と違ったとかいうより自分の1番苦手なものが出てきたのが悲しかった。

個人的な趣味の話だからこれで正解なのかもしれないけど、それがどうしても悲しかった。


SNSでファンが「最高!」と声を揃えているのがまた悲しさを助長した。

どうやら自分はマイノリティーらしかった。


アーティストとアイドルのコラボ。
であるならば、被写体のアイドル側が自らの意思で服を脱ぐということは考えづらい。
というか、そうとは(私が)思いたくない。

となると蜷川さんがその指示を出したと思うのが自然だが、作品を信頼しているアーティストからその指示が出たのだと解釈するのがまた辛かった。

ヲタクの言う解釈違いとはこういうものか。

こんなに辛いものか。


やっぱりジャニヲタはタレントの半裸を求めているのだろうか。

ジャニヲタとしてタレントの露出に歓喜する客に含まれることも、
大好きなタレントが性的な対象として消費されるということも個人的には耐えがたい事実だった。

肌の露出を増やすことが、北斗くんの魅力を引き出す有効な方法だったのだろうか。

どんなに考えても私は納得することが出来なかった。

あと、ただの素人だけど、雑誌が好きな人間なので、単に北斗くんのお腹の肌質と紙質が合っていないようなのも許せなかった。というかさすがにそこは綺麗に見えないならレタッチしてもよくない?!

という訳で、楽しみにしていた割には悲しい部分が多かった蜷川実花さんとSixTONESのコラボ。

でも仕方ないと思っていたよ。
またいつかコラボが見られる時が来たらまた違う切り口の作品が見られたら良いなって前向きにとらえていたよ。

追い打ちをかけたananの表紙

SixTONESがananの表紙!
めでたい!!!!!!


そう思ったのも束の間。

私の目に飛び込んで来たのは柄物のスーツ衣装を纏ったSixTONESのメンバー
の中で胸元があらわになっている北斗くん!!

なんでやねん!!!


もうね、びっくりし過ぎてエセ関西弁も出ますわ。


全然理解できないんです。
なぜ毎度毎度北斗くんは服を着させてもらえないのでしょうか。

誰か私が納得できるように説明してほしい。切実に。

なぜ松村北斗くんは服を着させてもらえないのでしょうか


北斗くんは自分らしさとか自身の魅力というものに真剣に向き合っている人だと思います。

そこにとてもこだわりがある人だと思います。

北斗くんが(役作りを除き)黒髪を貫くことにもきっと意味があって、
それって要は黒髪であることが松村北斗の松村北斗らしくあることの一端を担っているという事なのだと私は理解しています。


黒髪であることについて北斗くん自身がどう解釈しているか、

さすがにそこまで私の意見を言うのは侵害な気がするので言わないけれど、

それくらい北斗くんは真剣に”松村北斗らしさ”というタレントとしての商品価値(商品という言い方は失礼だと思いますが)に向き合っている人です。



最後に今一度私の疑問を言わせてください。

松村北斗くんの魅力を引き出すために肌を露出させることは本当に必要な演出でしょうか。


分からない。私には全くもって分からない。

私は松村北斗くんが服を着させてもらえなくて悲しいです。

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