SixTONES 日の出前のImitation Rain

SixTONES

2019年12月25日SixTONES Imitation Rain MV解禁

本日2019年12月25日

SixTONES Imitation RainのMV解禁日。



解禁時間は午前4時。

日の出前。



愛か皮肉か。

「アトリエの前で」第10回 タイトルは日の出

5日前の12月20日。

私は松村北斗くんの連載コラム「アトリエの前で」を読んだ。



感想を書こうと思い早5日。


どうにも理解しきれず感想をまとめられずにいた。

今でも分からない部分がある。

でもここまで考えてから筆を進められて良かった。

今回の北斗くんコラムに付けられていたタイトルは「日の出」

日の出≒デビュー

デビュー前のこの時期だ。

話の内容的にも「日の出」というワードが

暗にデビューを指していると解釈するのは無理ないだろう。



ROT 1夜目の時に少しだけ噛みついたが、今回のコラムで分かった。

初日の出を見たことがないという北斗くん。

北斗くんのことを嘘つきだとは思わないから
北斗くんがこう書く以上
リアルに初日の出を見たことがないのは事実だと思うけれど、
きっと言いたいのはそんなことではない。


4人グループの端にいた時に出したCD
あれは紛れもなく北斗くんにとっての初日の出だと思っていたが、
北斗くんが初日の出を見たことがないと言う以上
北斗くんにとってあれはデビューではなかった。

そう思わざるを得ない。

デビューの皮肉

「初日の出」その名を北斗くんは皮肉と言った。

“彼からすれば、お前らの生まれるずっと前から毎朝やってましたと言いたいところだろうに。”

“ほんの一瞬で年は明けて華々しい新年の幕開けと言われる。”



デビュー。その瞬間は一瞬で。

デビュー前の苦悩なんて見られもせずに積み上げられた実績とその場の立ち振る舞いにて

華々しいデビューと言われる。



デビューする者とせざる者。その両者にどんな差があるというのだろう。

#ずぶ濡れ解禁 Imitation Rain について考える

大分前置きが長くなってしまった感じがするが、Imitation Rainに戻る。


Imitation Rain MVが解禁される前にもう音楽番組の映像などを幾度となく見返してきた。

MVの公開は単に作品のビジュアル的な部分を接種できるタイミングだと思っていた。



しかしいざ見てみると、ただ見ているだけでは全く理解が深められない。


これは1度真剣にImitation Rainの歌詞に向き合う必要があると思った。

(大前提として私は語学力がからっきしダメなので、英語について味方はGoogle翻訳と心優しいファンの方の解釈しかない。その点大目に見ていただきたい。)

Imitation Rain の紅の意味について考える

誠に恐縮ながら、私は今までの人生で、
かの有名なX JAPANさんの紅を真剣に聞いたことも歌詞を読み解いたこともなかった。

しかし、Imitation Rainの歌詞の意味合いについて考えるにあたり、
「紅」というワードがどんなことを指しているのか考える必要があるように思えた。

曲の解釈については諸説あるので何とも言えないが
あくまで1つの見方を採用し話を進めていく。

背景はさておき(私レベルの人間がググってすぐに出てきた情報なので気になる方は検索してみてください)

「紅」は端的に言えば「死」を意味する、
ないしは連想させる語なのではないかという解釈。

今からデビューしようという彼らにそんなことを言われましても・・・
と思わなくもないが、後で回収するので聞いていただきたい。

ひとまずここはその説で話を進める。
そうすると、大まかに歌詞の辻褄が合う。

“Shall we play this game 紅に染まるまで“

とんでもない歌詞だな。

死がふたりを分かつまで感がすごい。

そもそもImitation Rainって

忘れていたわけではないが、Imitation Rainという曲名を聞いた時から思っていた。

そもそもImitation Rainて何



この曲、もはや「紅」と「Imitation Rain」の解釈さえ定まれば
この曲全体の解釈が定まったも同然なのではないか。



これは私の感覚的な解釈でしかないが、
Imitation Rainって、見ている人間の解釈や誹謗中傷、視線、好意、
それら全てを抽象的に表した言葉なのではないか。

そう思う。

雨は恵みの象徴的な印象がある。
好意的な言葉は恵みの雨にも思えるが、
誹謗中傷は刃にもなる。

そう考えると樹くんのラップの

“cuts my mind like a razor blead”

にも合点がいく。

Imitation Rain の紅の意味について考える 2

さて、先ほどの「紅」の解釈について。

考えていくと先ほどの解釈では甘いように思う。

仮に「死」と解釈するとしても、色が紅である必要性について

いまいち説得力に欠ける。


では、私がどう考えたか。


ここで一つ自分語りを失礼しますが、
私は高校時代部活で合唱をしていました。

詳細はうろ覚えですが、当時歌った曲の歌詞に

“私のいのちは何の歌 私のいのちは何の歌 夜もなく 黄昏もなく“

というものがありました。

当時この歌詞を、病に侵され先の長くない人間の嘆きのように解釈していた記憶があります。


人間の命を1日の時間の流れに置き換える。

そうしたらどうでしょう。

「日の出」

ここから朝がスタートするように思えますが、

別に太陽は日の出と同時にこの世に誕生するわけではありません。

そう。冒頭で触れた北斗くんのコラム。

メンバーが幾度となく発信してきた“通過点”というワード。

SixTONESのデビューを日の出というワードで表すのは言い得て妙。




Imitation Rainから急に人生を時間に置き換えるなんて突拍子もないように思いますが

そもそも北斗くんが「アトリエの前で」にて“時間の概念”という言葉を使っているし、



ここまで考えてドキッとしたのは冒頭のジェシーくんのパート。

You said “I will be the sky and you will be the sun to shine”



英語が分からない故に歌詞の意味をちゃんと考えられずにいた自分がこわい。

最初から太陽って言っている。



そこから先ほどの定義に当てはめる。


紅≒死

死の間際。

すなわち、夕方。

空は紅に染まる。

なんてことだ。

#SixTONESずぶ濡れ

日の出≒デビュー

Imitation Rain≒人々の言葉



だとすれば、今日1日

ヲタクが散々SixTONESのImitation Rainについていろいろな感想を述べた。



この光景こそが“SixTONESずぶ濡れ”だ。



してやられた感がすごい。

なんて皮肉だ。




タイトルに書いたが、このブログ自体も

SixTONES 日の出(デビュー)前のImitation Rain(意見)なのだ。

P.S.

ここまではさすがに勘ぐり過ぎで書くことでもない思うけど、
この内容ならば京本くんのパートの“ガラスの薔薇“の色は紅であると考えるのが自然ではありませんか?

でもガラスという無機質のものだから、死という概念を当てはめるのはおかしな話で、
となるとこの紅の薔薇は終着を表すワードではないと解釈できると思うのですが、
もう本当にこれは余談ですが、
赤い薔薇の花言葉には「愛情」などがあります。
更に6本の薔薇には「あなたに夢中」「お互いに敬い、愛し、分かち合いましょう」といった意味があります。

終わりのない敬愛。

“Fake dreams 壊れてゆく ガラスの薔薇のように“

そんなものは偽りだ、まやかしだというのでしょうか。




かつて赤いセンターを目指した北斗くん。
北斗くんにとって黒はどんな色だろう。
いつか「アトリエの前で」で書いていたね。
“2位の負け、3位の勝ち”
“かなえる”を“叶える”と変換しない北斗くん。
「俺は誰もいない位置にいなきゃって。何やったって別に他の5人に負けるから張り合ったところで」と語る北斗くん。
自分の在り方を適えてきましたか。

北斗くんにとって黒が赤になれませんでしたカラーでありませんように。
満足の色でありますように。


“piece of mind is shutting doun”
閉ざさないで。お願い。
夢の続きを。

紅に染まるまで。

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