私がブログを書く意味「常識」と「普通」と「偏見」と そして「類は友を呼ぶ」

Itsusoの雑談

こんにちは。
ひと言で良いことを長文で語るジャニヲタ、
Itsusoです。

今回は最近の出来事、学んだことから
私の考え、ブログを書く意味が明確になったので
書いていきます。

「常識」≒「偏見」

「常識」なんてのは偏見だ。

別に偉い人のいう事がすごいとか
正しいとか思って生きているわけではないが、

かの有名なアルベルト・アインシュタインも
「常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいう」
という言葉を残している。

そもそも「価値観」なんてものは

私は今「ストーリークリエーターズキャンプ」という講座を受けている。

そこで
そもそも自分の価値観なんてものは無くて
パラダイム、要はものの見方を採用しているに過ぎないという話を聞いた。

本当にその通りだと思う。

「類は友を呼ぶ」

私は「類は友を呼ぶ」という言葉を非常に信じている。

呼ぶというよりも、
自分の心地よい所に身を置こうとするのが
摂理だと思うのだ。

齢25にして母と喧嘩しました

先日私は母と喧嘩をした。

喧嘩と言っても、
私は全く怒っていなくて、
ブチ切れる母に
話し合いを試みたが
根本的な価値観が違う為、
分かり合えない。

それだけのことだ。

そう、先ほど書いたように、
価値観というか、
採用している行動基準がまるで違うのだ。

妹とウマが合わず実家に出戻った話は前に書いたが、
→20年以上ウマが合わないと思い続けた妹と2人暮らしをして1年足らずで実家に出戻った話

妹の価値観を作り上げたのは
母なのだということがよく分かった1件だった。

妹と母の喧嘩での合言葉「常識」「普通」

喧嘩になった時に
2人が共通して出してくるワードがある。
「常識」「普通」
私はこの言葉を聞くとうんざりする。

「常識」なんてものも
「普通」なんてものも存在しない
というパラダイムを採用している私に

「常識的に考えて○○」とか
「普通に考えて○○」の一点張りは
何の説得力もないし、

「あなたの常識は私の常識ではない」
と丁寧に伝えても伝わらないのだ。

「常識」と「類は友を呼ぶ」

妹と喧嘩になった時、
「お姉ちゃんの言ってることがおかしいよ!私の周りの人もみんなそう言ってたよ。明日誰かに聞いてみなよ!!」
と言われたので、

翌日職場に行って
こういう事があって、妹はこう主張するんですけど、私はこう思うんで分かり合えなくて。これって私がおかしいんですかね。

と聞いてみたらその場にいた人全員が私と同意見だった。

先日の働き方に関しても似たような状況だ。
→25歳独身ワーキングプアのジャニヲタ、休暇の使い方と働き方について考える

結局自分が身を置いている環境には大概
同じパラダイムを採用している人が集まっているものなのだ。

こうして「自分以外の多数派がこの意見だから」と
「常識」とか「普通」という概念が出来上がる。

自分が選択して属しているコミュニティに限った話なのに。

そんなものは役に立たない。

これってよく子供が「みんなも買ってもらってる!」
と主張して親に物を買ってもらおうとしたら
「みんなって誰」
とバッサリきられるのと全く同じ図だよね。

喧嘩に「常識」とか「普通」 って必要ですか

そもそもだ、
家庭内での価値観の相違の話し合いの場に
「常識」とか「普通」なんてものが
基準として必要だろうか。

3名以上の家族に関わることを
その場で多数決とるならまだしも、
1対1での話し合いの場に
その他の人間がどのパラダイムを採用しているかなんて
どうでも良い話なのだ。

しかし
「常識」とか「普通」という言葉で
自分の意見に説得力を付け加えようとする人に
この理屈は通用しないのだ。

そこまでは理解したつもりだがまだ腑に落ちない。
だから私は彼女らと生活するのが難しい。
喧嘩は毎度平行線だ。

私がブログを書く意味

前振りが長くなってしまったが、
私がブログを書く意味。

大前提として、
私は 間違ったことを言わないようにとは思うが、
自分のことを正義だと思っているわけではない。

世の中には1つの事象に関して色々な見方がある。

ものの見方は正解と不正解の2つではなくて
グレーであったり、違う角度があったりする。

私は何者でもない。
だからこそ、何のしがらみもなく
「自分からはこんな世界が見えている」
と発信することができる。

私はただ愚直にそれだけのことをしたいのだ。

先に書いた
ストーリークリエーターズキャンプの中で
「教育とは世界を広げること」
という言葉が出てきた。

私は何かが融合、迎合することよりも
共存する状態が好ましいと思って生きている。

多くの人間が点在していて、
個人が個人として存在していて、
たまに「その話乗った!」
となるような環境。

だから私は私の発信をする。

好きなことを発信して
「それ良いよね」と言ってくれる人がいたら嬉しいし、
「そういう風に考えるんだ」と思ってもらうだけで充分なのだ。

それが何者でもない私にできる唯一の教育ではないかと思うのだ。

偉そうな顔をしたいわけではない。
ただ、私が私である価値を知っておきたい。

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