セルフネイルが好きな私ですが、実のところ根っからのずぼら。
足の爪は爪切りでバチンバチンである。
真顔で足の爪を切りながら、私がネイルをする理由を再確認する。
私が爪に色を塗るとき、
この“爪に色がついている”という何の役にも立たないことのために人生のどれだけの時間を費やすのだろう。と思う。
そうするとその無駄さがたまらなく愛しくなるのが好きなのだ。
好きな色の組み合わせや好きなモチーフを自分の体の一部にする。
それがたまらなく愉快なのだ。
よくかわいいネイルを施していることに対して女子力が高いなどと評価することがあるが、少なくとも私はそんな感情で爪を塗ってはいない。
自分の心地よいこと、面白いこと、ときめくことを追求しているだけである。
そこで不意に「髪は女の命」という常套句を思い出し
泣きたいほどの怒りを覚え今このブログを綴っている。
そもそも女らしさって何なのさ
突然だが、私は「女“らしい”」とか「男“らしい”」という言葉が嫌いである。
そりゃ身体的な性差はあるにしても「女“らしい”」「男“らしい”」って概念はどこから来るの?それってただの偏見じゃないの?と思うのである。
“らしい”って何。
女は女、男は男、それ以上でも以下でもないし、個人差もあるのに、どうだったら“らしい”なんてことは全くないんじゃないかと思うのである。
「女らしさ」検索
どうやら私には、女らしい、男らしいという概念が世間の人ほど脳内にインプットされてないようだ。
女らしいって男らしいって何さ!という感情に任せ
「女らしい」と入力しグーグル先生で検索。
女らしさを解説する際に男性視点で女性の魅力が語られていることに嫌気がさす。
何?女らしさって男に好かれるためのものなの?
女は男がいないと女という概念すら保てないの?
評価されるために女らしさを追及するの?
疑問と怒りしか浮かばない。
なぜ人は(性別)らしさを求めるのだろうか。
なぜ自分らしくあることで“らしさ”を保つことができないのか。
髪は女の命なのか
長く美しい髪は女らしい
女らしい女性は世の男性から見て魅力的である。
故に髪は女の命である。
女たるもの女らしくあれ!
モテるために!
色々なページを見てみたがそんな主張の感じられる記事ばかりだ。
女らしくあることは女の命なのか?
女らしくなければ男性にはモテない。故に女らしくない女には価値がない。
そうか?本当にそうなのか?あまりにも浅はかな考えだとは思わないか?
長い髪は女らしさ、女性の魅力の象徴?
海外の女優さんなんかでもベリーショートの美しい方はいらっしゃる。
潔いベリーショートに自身に満ち溢れた笑顔。
その姿は十分に女性らしいと思うし、
たとえ女性らしくはないと言われたところで魅力的であることには変わりないとは思わないだろうか。
Itsusoは女らしさとかけ離れた人間である
私は女だが、女らしくあることに特段の魅力を感じていない。
それよりも自分がときめく色や柄、造形を身につけることの方がよっぽど自分にとって重要である。
だからパンツもスカートも履くし
原色の服も柄の服も着れば、全身真っ黒なんてこともある。
男性ものの革靴も履くし10センチくらいはあるだろうかというヒールも履く。
パーマにときめくからパーマはかける。
髪は私にとって長い必要がない。
耳周りは短い方がお気に入りのピアスが映えるし、
襟足の髪は鬱陶しいから要らない。
頬周りの髪も要らない。最初は髪で顔が隠れないと気恥ずかしい気がしたが慣れてしまえばそんなことはない。
女性らしさとはかけ離れた人間である。
ジュエリーはしっかりつける
ピアス、ネックレス、リング、腕時計やバングル。
これも決して女らしさを強調するためではない。
おしゃれかどうかなんて正直どうでもよい。
ただ自分のコーディネートで自分が心地よくいられる、それだけが大切なこと。
自分の価値を決めるのは他人かもしれないが、
自分らしさを決めるのは自分だけである。
女らしくないから髪を伸ばしなよ。と言われたとしても答えはNOである。
私にとって私は髪が短い方が魅力的だからだ。
「髪は女の命」だなんてクソである
タイトルに戻るが「髪は女の命」なんてのはクソだ。と私は思う。
もちろん髪の長さにかかわらず髪は清潔感があって綺麗な方が良いだろう。
しかしそれは男も女も関係のないことだ。
「髪は女の命」だなんて、言い換えれば「女の命は髪(で決まる)」「女の命は髪(で左右される程度)」と主張しているに等しいとは思わないだろうか。
髪は女の命だなんて思わない。
女の命(価値)を髪のみに委ねられるわけがないじゃないか。
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