ジャニオタ10000字(セルフ)インタビュー~中村海人・松村北斗担Itsusoさん編~

ジャニーズ

こんにちは。
ひと言で良いことを長文で語るジャニヲタ兼JAM
Itsusoです。


先日友人がジャニオタ10000字(セルフ)インタビューというブログを書いていて楽しく読ませてもらったので自分も書いてみようと思った次第です。


友人の記事はこちら
ジャニオタ10000字(セルフ)インタビュー〜林翔太・猪狩蒼弥担みささん編〜

ちなみにこのテーマは友人発案ではなくこの方の記事が元ネタだそうです。
ジャニオタ10000字(セルフ)インタビュー〜A.B.C-Z 戸塚担ricoさん編〜



10000字インタビューってジャニオタにとって思い入れのある企画だと思います。

担当のインタビューを読んでは好意を再確認したり、時には涙したり。そう。10000字インタビューで泣くジャニオタってすごく多い印象があります。

まだ記憶に新しい5月号が担当である松村北斗くんの回でした。

涙することを覚悟で読んだ10000字インタビューはとてもあっさりとしたものでした。

そこに書いてあったことは、私が見て感じていた松村北斗そのものでした。事実だけが坦々と語られた答え合わせみたいな文章。

とても彼らしいな。と思いました。
それはそれでとても良いインタビューだと思いました。

きっと北斗くんのインタビューがなければ私がこの記事を書くことはなかったと思います。

エモい文章なんて狙って書けませんから。



抗うことのできない要因によって様々なことが変化してしまう昨今。

少し時間を使って今までの自分を振り返り、そしてこれからのことを考える重要性を感じています。

棚卸みたいな10000字(セルフ)インタビュー記事です。

長くなりますがお付き合いいただけましたら幸いです。


(参考記事ではインタビューアーが敬語ですが、私は松村北斗くんの10000字インタビューに倣ってタメ口にしています。)

ジャニオタ10000字(セルフ)インタビュー~中村海人・松村北斗担Itsusoさん編~


ジャニオタの数だけ、想いがある。一人のジャニオタにスポットを当て、ジャニオタ歴とともに、彼女たちの熱い想いを10000字でお届けします。

今回はTravis Japan中村海人さん、SixTONES松村北斗さんのファンItsusoさんにお話を伺いました。



山田くんは最高峰のアイドルです。


―――まず最初に、担当と担当歴、ジャニオタ歴を教えて?

担当はTravis Japanの中村海人くんとSixTONESの松村北斗くんです。
担当歴は中村くんが4年目、松村くんは約半年で、ジャニオタ歴は13年くらいです。



―――ジャニーズに関心を持ったきっかけは何だったの?

ありがちなんですけど、最初のきっかけはドラマでした。

2007年に放送していた『探偵学園Q』という作品です。

ドラマを見ていて、天草流役の山田涼介くんが気になるようになりました。



―――じゃあ、そこから山田くんのファンになり一気にジャニーズの世界に?

いえ、実際最初にファンになったのは山田くんだったんですけど。

当時はまだ山田くんのことをジャニーズと認識していませんでした。



―――そこからどうやって山田くんがジャニーズだと知ったの?

妹がジャニオタだったんです。

「天草流が好き」って言ったら「あの人ジャニーズだよ」と教えられました。



―――妹さんはジャニオタだったけどItsusoさんは知らなかったんだね。

そうなんです。

私が小中学生の頃ってそれこそ『ごくせん』とか『花より男子』とか『野ブタをプロデュース』とか本当にたくさんのドラマでジャニーズのタレントさんが活躍されていました。


田舎の小学校でもしょっちゅう話題になっていましたね。

特に女子は「○○くんが好み~!」なんて盛り上がっていたのですが、当時の私は全く関心がなくて(笑)

“ジャニーズなんて何がかっこいいんだろう。チャラいお兄ちゃんがカッコつけてるだけじゃん”くらいに思っていました。



―――随分と辛口だね。

幼さゆえですかね(笑)

その後の人生で10年以上もジャニオタやっているなんて当時の私が知ったら驚きますね。



―――山田くんの存在に気付いてからはファンクラブに入ったりしたの?

いえ、当時中学生だったこともありファンクラブに入るのは随分あとのことです。

山田くんのファンになったことを公言するにも時間がかかりました。



―――と言うと?

先ほども話した通り元々はジャニーズが好きじゃないという素振りをしていたんです。

そこからいきなり「山田くんのファンになりました~」なんて言い出すのはどうも気恥ずかしいというか。

なので、2008年の7月に発売されたHey!Say!7のHey!Say!は妹が購入したものを聞かせてもらっていました。

同じ年の11月に発売されたデビューシングルも、当時部活動でバレーをしていたので「ワールドカップのテーマ曲なんだって!」と別の理由を付けて母に注文してもらいました。

ジャニーズが好きだと打ち明けるには気になり始めてから1年以上かかったと思います。



―――隠していたんだ。

意固地ですよね(笑)

当時母に言っていなくてバレたくなかったので、まず自室の模様替えを一人でしました。

タンスの背面と壁の間を数十センチ空けて、タンスの背面にピンナップを貼り付けてその間で2008年の9月に放送開始したHey! Say! 7 Ultra Powerを聴いたりしていました。



―――徹底してるね。

一生懸命隠していたんですけどね。

当時中学生ですし、小学生の妹もいました。母は薄々気付いていたんでしょうね。

意を決してカミングアウトした時にはあっさり「そうなんだ」と言われました(笑)



―――当時の様子について聞かせて。

まずは前身グループのことを調べあげて、あとは妹と折半してお小遣いでCDを買ったり、月に1冊買う雑誌を決めて隅々まで読んだり、番組を録画して見たり、分相応に茶の間のオタクを楽しんでいました。



―――ジャニーズに興味がなかったItsusoさんをジャニオタにまでした山田くんの魅力って何だったと思う?

それまで何にもハマったことのない人間でしたから、私にとって初めて熱中すること、初めての趣味、そして初めてのジャニーズが山田くんでした。

まずはひたすら顔が好きでしたね。

あと、山田くんは10代前半という若さで立派にプロのアイドルでした。
今でも山田くんのプロ意識には感心しっぱなしですが。

おかげで初めてジャニーズにハマって“アイドルを見るぞ!”という気持ちでいる私は、全く裏切られることなく“アイドル山田涼介”を見続けることができました。

その上、山田くんってバラエティー番組とかでは全く気取らないんですよね。

それは、ジャニーズに恋したいわけではなくアイドルという仕事をしている一人の人間のファンをしているという線引きをはっきりしておきたかった当時の私にとって、とても都合の良いことでした。

山田くんはファンとの距離の取り方がとても上手いと思います。

ビジュアル、意識、パフォーマンス、私にとってすべてが最高峰のアイドルでした。



エビキスは私にとって伝説のジャニーズJr.です


――-中村くんのファンになるまではずっと山田くんを応援していた?

ん~、そうと言えばそうなんですけど、紆余曲折ありましたね。



―――具体的には?

いわゆる掛け持ちというやつです。

その後、好きなタレントさんが増えていきました。

まずは2008年の年末から2009年の年始あたりですね。A.B.C-ZとKis-My-Ft2にハマりました。



―――きっかけは?

今でも交流のある地元の友達がジャニオタだったんです。

デビュー組に限らず手広く知っている生粋のジャニオタでした。今から10年以上前にM.A.D.とかFiVeとか言っていた中学生ですから(笑)

最初は会話に出てくるグループ名、タレントの名前、楽曲、さっぱり分からず家に帰ってから調べたりしていました。



―――その中で琴線に触れたのがA.B.C-ZとKis-My-Ft2だったと。

はい。

ハマってからは、山田くんを見るために買ってJr.コーナーを流し見していたデビューコンサートのDVDもCrushとFire Beatを見るために相当見ました。



―――A.B.C-ZとKis-My-Ft2では誰のファンだったの?

五関晃一さんと藤ヶ谷太輔くんです。



―――当時の2人の印象は?

あの頃のA.B.C.とKis-My-Ft2ってすごくギラギラしていました。

キラキラのアイドルをやってくれる山田くんとまた違った魅力が新鮮に見えたんだと思います。


藤ヶ谷くんは今となっては王道アイドルと称されますが、当時はそんなイメージはなかったですね。
前髪がすごく長くて他の髪はパーマでクルクルでライオンみたいでしたから(笑)

ギラギラして尖っていて、危ないお兄さんて感じが刺さっちゃったんですよね。当時私も中学生でしたから。
”こんなに刺激的なパフォーマンスをジャニーズという王道アイドルのブランドを盾に堂々と見て良いのか”と。


あと藤ヶ谷くんは同性のにおいがするというか“男の子が女の子をターゲットとしたアイドルをやったら”とか“女の子が理想とする男の子のアイドルを体現する”とかじゃなくて“女の子がやりたい男の子のアイドルをやったら”って感じがしたんです。



―――女の子・・・

あくまで感覚の話ですよ(笑)

時にはお色気満点のお姉さんだし、時にはギラギラしたお兄さんだし、たまにはスケベな男の子で、ギャルで姫でアイドルでした。

女の子がやりたい、見たいものを全部詰め込んでコロコロ姿を変えて見せてくれる感じ。

休日にやっている魔法が使える女の子の出てくるアニメのキャラクターみたいに見えていたんだと思います。



―――五関くんについては?

五関さんは、咄嗟に“あっ、この人にハマりたくない”って思っちゃったんですよね。



―――ハマりたくないと思ってファンに?どういうこと?

なんかすごく輝いて見えちゃったんですよね。

好きだという気持ちに思考が追いついていなかった。
危険なにおいがしたんです。

“私、五関さんにハマったら好きな理由も分からないまま抜け出せなくなる”
“魅力に完全に憑りつかれて引き込まれてしまう”って。

オタクなんて、そう考えている時にはもう手遅れですよね。こわい人です。五関さんは(笑)



―――五関くんは“くん”呼びじゃないんだね(笑)

ああ(笑)五関さんのことは今でも神話の神様か何かだと思ってる節があるので。



―――神様、ですか。

神聖な雰囲気を纏っていて、そこにいるのに掴みどころがなくて。星みたいな人です。


―――なるほど・・・

私の中で五関さんには“自然体”“調和”“孤高”“強靭”みたいなラベルがついているんです。

決して迎合しない強さと、いい意味での脱力感。
五関さんの強さは屈強ではなくて強靭。しなやかさを持った人です。

孤高でありながら周りとの調和を乱すことがない。

いつでも“人生イージーモード”みたいな顔して出てきてくれるのが最高です。

「楽勝っしょ、笑」みたいな雰囲気がたまらないです。「きつい」と言う時は「きっついわー、笑」ってへらへら笑い飛ばしてくれるところとか。バリバリに踊っている時こそ意図せず笑みがこぼれてしまうところとか。

五関さんは私にとってアイドルの理想像みたいな人です。



初現場からフットワークは軽かったですね(笑)


―――3人の掛け持ちになったわけだけど、その中で一番最初に行ったコンサートは?

ジャニーズのタレントがいる場という意味では、2010年の春高バレーに行きましたが、それはあくまでバレーの観戦が目的でした。

最初のコンサートは2013年に開催されたふぉ~ゆ~の『ジャニーズ銀座』です。



―――ふぉ~ゆ~?!Hey!Say!JUMPでもA.B.C-ZでもKis-My-Ft2でもなく?

そうなんです。

両親はジャニーズに全く興味がなくてお小遣いの中でなら好きにして良いよ。という感じでしたがお小遣いは少なくてCDを買ったらなくなっていました。

高校生の頃は合唱の部活に入って部活漬けの日々でアルバイトもしていなかったので、専門学生になってしてようやく現場に行ける!となった時に友人に誘われて行ったのがその公演でした。


―――それでも楽しかった?

はい。

予想外の現場デビューにはなりましたが、これがジャニーズのコンサートか!と心が震えたのを覚えています。

なんといっても4人ともカッコよくて面白くて、とても楽しい時間でした。今考えるとすごく贅沢な初現場でしたね。



―――そこでふぉ~ゆ~のファンになったりはしなかった?

そうですね。

藤ヶ谷くんは同年の11月に開催されたKis-My-Ft2のコンサート『SNOW DOMEの約束』、山田くんは翌年の5月に開催されたHey!Say!JUMPのコンサート『Live with me』、五関さんは6月に公演があったミュージカル「ファウスト」~愛の剣士たち~で初めて見ることになります。

ファンになってから6年とか経っていましたね。



青天の霹靂。彗星のごとく担当の座に食い込んで来た佐久間大介という存在


―――今度こそ、中村くんに?

いえ、そのあともう一人担当が増えました。



―――4人目の担当?

そうなんです。

3人の掛け持ちになって約7年が経った2015年の春。

北山担の友達と一緒に滝沢歌舞伎に行きました。
そこで見事に佐久間大介くんに釘付けになってしまって。



―――長い間思い焦がれていた3人に対して今度は観劇から。

はい。
いわゆる現場落ちってやつですね。

高校の同級生にSnow Manのファンの子がいたこともあってSnow Manのことは知っていましたし、佐久間くんも気になる存在ではありました。

でも今更Snow Manにハマるなんてことはないと高を括っていたんですよね。

当時はKis-My-Ft2のファンでしたから北山くんが出演している滝沢歌舞伎を見たくて観劇しました。

開演前は“佐久間くんもちょっと気になるから見てみよう”くらいに思っていたのですが。


―――そこで佐久間くんに魅了されてしまった、と。

その通りです。

一幕の後半には双眼鏡で佐久間くんをロックオンして幕間にはただただ「佐久間くんがヤバい」と繰り返していました。

青天の霹靂ですよ。かれこれ7年は新たに推しが増えたりしていませんでしたから。

彗星のごとく担当の座に食い込んできた佐久間くんという存在に私が一番動揺していました。



―――でも結局ファンになったわけだ。

抗えなかったですね。

佐久間くんって、パフォーマンス中の全ての所作が美しいんですよ。

ジャニオタをやっていると“お!今めちゃくちゃ決まった!”みたいな瞬間を目撃して嬉しくなったりするんですけど、佐久間くんはそんな瞬間を写真に収めてコマ送りにしてるかの如く神経が行き届いたパフォーマンスを見せてくれる。

指先、瞼の伏せ加減、睫毛からそれこそ着ているシャツのなびき方まで、全てが計算しつくされたみたいな洗練されていて且つダイナミックなダンス。

彼は唯一無二の最高のパフォーマーだと思います。

翌年あたりはA.B.C-Z のコンサートに行ってもKis-My-Ft2のコンサートに行ってもSnow Manがバックについていましたから、コンサートに行くたびに担当が2人ずついて、目は忙しかったですけど、幸福感はすごく高かったです。



きっかけはたった2枚の画像でした


―――4人の掛け持ちから中村くんのファンになるんだよね?きっかけは何だったの?

たった2枚の画像でした。



―――画像?テレビでもコンサートや舞台でもなく?

はい。
きっかけは2015年の後半あたりに見た画像でした。

Travis Japanのこともそれまで知らなかったわけではないんですが、興味がなかったというか。

ふぉ~ゆ~のコンサートに連れて行ってくれた友人がいたくらいですから、漠然と”舞台班は沼なんだろうな”くらいに思って遠巻きに見ていました。

2014年の夏には『PLAYZONE 1986・・・・2014 ★ありがとう~青山劇場★』にも行っているので、実際に見てもいるはずなんですが、もはや海人くんの記憶はありません。

これは自分のオタク史上でもかなり惜しいことです。


―――知っていても興味がなかったところから画像だけでファンに?

ええ。いとも簡単に(笑)

ある日突然TwitterのTLに流れてきたんですよね。海人くんの画像が。

そのビジュアルがすごく好みだったんです。



―――たったそれだけ?

そう思いますよね。

私も“わ!めちゃくちゃ好み!”と思ったものの、そんなに大きく受け止めてはいませんでした。

“今まで気にしてなかったけど中村海人くん実はすごく好みの顔してるんだなー”くらいのもんですよ。

でも、まだその衝撃が抜けきっていなかったある日、それが数日だったか数ヶ月だったのか今となっては覚えていなのですが、流れてきたんですよ。別のドストライクな画像が。

そうしたらどうしても気になってしまって。現場に行って見てみたくなっちゃったんですよね。

それが2015年の11月か12月くらいだったかと思います。



―――そこからすぐにコンサートに行って担当に?

いえ、気にはなったものの躊躇しているうちに年末に予定されていた公演に行く機会は逃しました。

その後クリエの申込みもしましたが落選し、当日券に並ぶも当たらず、ようやく海人くんを見られたのは2016年の夏でした。

担当と言い始めたのはそれより更に半年ほど先の2016年の12月です。



―――コンサートにも行ったけど担当にならなかったの?

その年の『Johnny’s Mr.KING SUMMER STATION』に行った時も『ABC座2016 株式会社応援屋』に行った時も純粋に海人くんを見たいという気持ちが大きかったです。

でも自分の気持ちが信じきれなかったんですよね。

何と言ってもきっかけがたった2枚の画像でしたし、コンサートや舞台に行っても人柄って簡単に分からないじゃないですか。

それに今まで興味がなかった分これまでのTravis Japanをちゃんと知らない。

『PLAYZONE』をTravis Japanのファンとして通って来ていないということにも抵抗がありました。

“顔が好き”というだけで何も知らない彼の担当を軽率に名乗って良いものかと。



―――なるほど。

悩みはもう1つありました。

掛け持ちが増え過ぎていたんですよね。

当時4人掛け持ちでしたから、現場に行くたびに担当が2人いるなんて状況は日常茶飯事。

常に双眼鏡で誰かを追いながら別の人がどこに移動しているかを視界の隅で確認して、時にはもう1人は会場のモニターで確認する、みたいなことをしていました。

お金も有限ですし、これ以上担当が増えたら気持ち的にも全員を担当と名乗れる熱量が保てない気がしたんです。

それで1ヶ月ほど、今まで担当と呼んでいた人を含め、担当を設けない期間を作りました。



―――中村担になる決め手になったのは?

TV fan 2017年1月号のインタビューです。

2016年のABC座の時に感じたこととジャニーズアイランドに向けての抱負を語っていました。


その記事の終盤で“今年が大事、転機だなって思うんですよ。”って語っているのを見た瞬間に決心しました。

“海人くんが、まさに今が転機だと語っているのに今ファンにならなかったらもう一生この転機を目の当たりにすることはできない”“転機だって頑張ろうとしている海人くんを絶対に見逃したくない!”って思ったんです。


私はその時点で海人くんについて「顔と名前しか知らない」と認識していました。

ジャニオタって担当に対して「この人は(おそらく)こういう人間で、こういう時は(きっと)こう思って、こういう行動をし(がちで)・・・」って自分のフィルターを通して見ることが多いと思うんです。

少なくとも私はそうやって自分の好きなタレントのことを見るのが好きなので全然知らない人の担当になるのは勇気が必要だったんですけど、そんなの全部どうでも良くなってしまったんですよね。

中村担になった理由は「担当と言いたくなったから」でした。

好きなところなんて顔しかみつけられていなかったです(笑)



―――今は顔以外にも好きなところが見つかった?

はい(笑)
とても大人で賢いところが大好きです。

仕事に対して真面目ですし、グループの方向性についてとか、かなり俯瞰して物事を見られる人だと思います。

感情豊かなうえに感情のコントロールの仕方も知っていて、自分が感じたことのどこをどういう風に切り取ってファンに伝えるかをきちんと考えられる人だと思います。

私は海人くんのことを聡明な人間だと思っているので、仕事をする大人として尊敬しますし、アイドルとして信頼もしています。

私にとって“最も推したいアイドル”です。



北斗くんは 「同じ世界に生きているのが楽しい人」 です


―――冒頭で松村担歴は半年ほどと言ってたけど、何かきっかけがあったの?

きっかけは『ジャニーズJr.8・8祭り』です。

ある程度起こり得る事態を覚悟して行ったんですけど全然ダメでしたね。



―――かっこよさにノックアウト?

いや、そういう感じとはちょっと違って。

元々北斗くんのことは好きだったんです。それこそテレビ初登場の時から気になる存在でしたし、北斗くんを見たくて現場に行ったりもしていました。

2015年の『少年たち 世界の夢が・・・戦争を知らない子供達』以降の現場では毎回個人のステージフォトも買っているくらいですから「結構好きなんだよね」と言うのに差し支えないくらいには好きだったと思います。



―――でも担当にはならなかった。

そうなんです。
ならなかったというか、なる気がなかったんですよね。

2017年の『東×西SHOW合戦』に入ったあたりから、気になる存在から更にギアが上がって、かなり意識するようになりました。

オタク友達との会話にも一方的に名前を出すことが多かったので、仲の良い友人の間では私が北斗くんのことが好きなのも周知の事実で。先ほど話した『東×西SHOW合戦』も友人が声をかけてくれたものでした。

でも当時は海人くんのファンになって間もなかったこともあり、北斗くんはこれからも“とても好きな存在”として適度に距離をとって楽しませてもらおうと思っていたんです。

こうやって言葉にすると偉そうで申し訳ないですけど(笑)



―――「とても好きな存在」と「担当」は何が違うの?

担当の定義って人によって本当にさまざまだと思います。

私の中で担当って好きなことは大前提として“文句を言いながらでも全肯定したい存在”なんですよね。受け入れたい、理解したい、そういう存在です。

何と言うか、私にとって北斗くんは好きという気持ちが大きすぎて、だからこそ、推すとか担当とは違う存在だったんです。

だからこのままずっと“好きだけど担当じゃない枠”にとどめておこうと思っていました。



―――『ジャニーズJr.8・8祭り』でどんな心境の変化が?

いつかはデビューするんだろうなと思っていました。

デビューという形が報われるということなのであればそれはとても喜ばしいことなんだって思ってはみても、どうしても考えたくない自分がいました。


“今日がその日かもしれない”って予感と共に会場に行って、実際「デビューします」と言われた瞬間は正直“そうだよね”って思いました。

でも、次の瞬間にはどう気持ちを処理したら良いか分からなくなっちゃったんですよね。松村北斗くんが好きな気持ちはすごく大きいのに、私は今“Travis Japanの中村海人くんのファンとしてここにいる”って思ったら喜ぶことも悔しがることもできなくて。

“北斗くんのことが結構好きな人間”としてSixTONESのCDを買う自分が全く想像できなかったんですよね。

“ああ、このままだとこんなに好きなのに私はSixTONESのCDを買うこともないんだろう。CDを買わなかったらコンサートに行くこともないだろう”って。瞬間的に思っちゃったんですよね。

気が向いたときにCDを買って気が向いた時にコンサートに行って、そうやって何となく楽しむには北斗くんのことが好きすぎちゃったんです。不誠実な気がして中途半端が許せなかった。



―――だから担当に?

だからという訳にはいきませんでした。

その日まで“松村担にはならないぞ!!”って思っていたんです。自分の担当論とは異なる存在だったので。

だから公演中は穴があきそうなほど真剣に見ました。

“デビューとなった途端に自分は中途半端が許せなくなる、だから金輪際北斗くんを見られる機会はないだろう。こんなにも好きなのに”って思っていましたね。めんどくさいオタクですよね(笑)

翌日も仕事をしながらそのことばかり考えていました。



―――で結局担当に。

翌日のうちには“やっぱり好きなものは好きと言おう”ってすごく当たり前な結論に至りました。“好きなのに一生見られないなんてやっぱり嫌だな”って(笑)

9月には『少年たちTo be!』にも行ったんですけど、その時点でもまだ松村担になろうって決意はできていませんでした。

でも確実に毎日北斗くんのことを考える時間は長くなって。

友人とごはんを食べて話しているうちに“担当と言ってもいいかな”って思えたんです。

何より分かりづらいですよね。「1番好きなのは?」って聞かれたら、場合によっては担当である海人くんより先に名前を挙げてしまうかもしれないくらい好きなのに「担当じゃない」なんて。

持論過ぎてこんなのいちいち説明して回るわけにもいかないし“自分の担当論とは異なるけど良いか!”って。

帰りの電車の中でTwitterのアカウントを作って日付が変わると同時に“松村担になりました“って旨のツイートをしました。それが2019年の11月1日でした。



―――担降りすることは考えなかった?

考えなかったですね。

さっき言ったように海人くんは私にとって“最も推したいアイドル”なんです。

北斗くんは何というか“同じ世界に生きているのが楽しい人”です。

それって全く別の次元の話で。だから、どっちかをとるなんてことは考えなかったですね。



―――「同じ世界に生きているのが楽しい人」ってどういうこと?

これって一定数の松村担が思っていることだと思うんですけど、北斗くんの発言って、すごく共感できるんですよね。

勘違い甚だしいことは分かっているんですけど、きっとこの人は自分と似たような思考回路で、自分と似たようなものを愛して、自分と似たような世界を見ているんだろうなって思わせてくれるんです。


北斗くん自身が”王道アイドルじゃない”と言ってくれる分、安心して“世界をいつでも真正面から見る”なんてことができない“常にマジョリティーに属する”なんてことができない、そんな自分を重ねて見ることができます。

ちょっと奇をてらったようにとられる発言も“それはこの状況でこう考えたらその発言になるよね”とか“考えていることが手を取るように分かる”と感じる瞬間があるんですよね。


北斗くんが多くの人に受け入れられれば受け入れられるほど、自分自身のことも認めやすくなります。

北斗くんがこの世界を愛せば愛すほど私の好きな世界は好きなアイドルに認められたものになる。

北斗くんは好きでいるだけで素敵な勘違いで自己肯定感が上がる人です。


多分わたしは“アイドル松村北斗”が好きと言うより“松村北斗という人”が面白くて仕方ないんです。

松村北斗が生きているこの世界ならもう少しだけ生きていてもいいかなって思うんです。



ジャニーズは私の思考の基盤です。


―――そろそろまとめに入っていくね。
ジャニオタになって良かったと思うことは?

作品を観たりタレントを見る中で、ジャニーズのない人生では経験できない数の、人生や人の考えに思いに触れて自分の価値観を見つめることができる点ですね。



―――Itusoさんにとってアイドルってどんな存在?

自らの人生丸ごとをエンタメにする人たち。

空想する隙を与えて許容する人たち。

彼らは強くて崇高です。

私たちはいつか尽きるその瞬間まで静かに輝き続ける尊い人生の目撃者です。

アイドルは線香花火みたいですね。美しくて、ちょっと切ない。


―――Itusoさんにとってジャニーズの魅力は?

歴史、ですかね。

長く愛されて大きな組織になるに至るまでにいろんなことがあると思うんです。

生き残って来られたのはエンターテイメントに対する正しくて強い信念があったからなんじゃないかって思うんです。

エンターテイメントで伝えられるメッセージ、照らすことのできる明るい世界があるって信じて疑っていないんじゃないかな。

あと「こんなもの作ってみたよ、良くない?」って感じじゃなくて「これ最高だよね!!!」ってトンチキを見せてくれるところが好きです。

ジャニーさんがいなくなった今でもその思いが脈々と受け継がれているって信じたいんですよね。



―――Itusoさんにとってジャニーズはどんな存在?

「自分の思考の基盤」ですね。

私の中で“ジャニオタである”という感覚は自分を構成する要素としてとても大きいです。注いできた時間も大きいですし、人生の中で体験してきたことのウエイトとしても大きい。

何を考えるにもジャニオタとして経験したことや、そこで得た価値観が反映されていると思うんです。

なので、私にとってジャニーズは数ある趣味の一つとして簡単に切り離すことのできない大切なものですね。



―――最後に中村くん、松村くんにメッセージを。

うわーこれ書きたいけど見られたくないですね(笑)


【海人くんへ】
海人くんが目指す未来がどんなものなのか、私には分かりません。

でも、海人くんが目指す未来ならそれが良い。私は海人くんが見たい未来が見たいです。


【北斗くんへ】
北斗くん、あなたのことが大好きです。北斗くん“らしさ”が何なのかなんて私にはわからないし、きっと北斗くんにだって分からない。

だから、好きなこと、楽しいことをたくさんしていてほしいです。あなたが笑顔で生きていてくれると私も楽しいです。




独特な表現を交えながら笑顔で語ってくれたItsusoさん。

「担当の数だけ愛の形がある」と語る眼差しはとても真剣なものでした。



次はどんな話が聞けるのか。乞うご期待。

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